ハワードジョイマン
繁盛店グループ総代表/店舗利益倍増アドバイザー
中小企業診断士/コピーライター/投資家/絵本作家
「現場主義」と「人間力」を大切に、
1,000店舗以上の繁盛を支援してきた経営コンサルタント。
— 父から受け継いだ「街を元気にする仕事」、その全国版を生きている。 —
OUR MISSION
私の使命は、
目標とされる経営者を1,000人
育てること。
街にある1つの店舗には、そこで働くスタッフがいて、
スタッフには家族がいる。お店にはお客さんがいて、お客さんにも家族がいる。
たった1つのお店に、これだけの人生が関わっている。
繁盛店が街に生まれることは、周りの経営者のやる気に火をつけ、夢や希望を与えます。
「私もあの人のようになりたい!!!」
─ そう思われる経営者を、全国に1,000人。それが私の人生の目標です。
PHILOSOPHY
「がんばらない繁盛」を、
すべての現場へ。
小さな店舗が抱える「人手不足」「時間がない」「広告費がかけられない」という現実を出発点に、
儲かる仕組みそのものを構築する支援を行っています。
"現場でできる"
販促を重視する
テンプレートではなく、そのお店の現場・スタッフ・既存のお客様で実装できる施策に絞り込みます。明日から動ける具体性が、結果を生む唯一の道です。
利益を優先し、
広告と労力を最小限に
売上ではなく「残る利益」を追います。だから私たちは、無理な広告投下も、闇雲な労働量増加も推奨しません。仕組みで利益を出すのが私たちの流儀です。
お店の魅力を引き出し、
ファンを育てる
他店との価格競争に巻き込まれない、価値で選ばれる店づくり。POP、メニュー設計、LINE活用、Google広告──すべて「お店のファンを作る」ために使います。
支援はテンプレート的アドバイスではなく、「今、どこから手をつければ利益が伸びるのか?」を見極め、
具体的な手法と手順を示すことにこだわっています。
商品を売るな、悩みを解決せよ。
100の知識より、1つの実践。
— ハワードジョイマン
THE PATH
ジョイマンの
歩み
商売人の血
1975年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。自営業の家に育ち、親戚一同も会社経営をしている環境の中で、小さい頃から駐車場の受付台に立ち、商売というものを肌で学んでいく。
誰に教えられることもなく、自然に商売を学べる環境がそこにはあった。サービス精神旺盛な人間に育ったのも、こうした原風景が影響している。
お笑い芸人の経験
大学入学と同時にお笑い芸人としての活動を開始。九州松早グループが運営するファミリーマートのCMにも出演。
この時に培った「人を惹きつける話し方」「笑いの構造」は、のちのコンサルティング手法の原点となる。
父の急死と
市役所時代
急性膵炎による父の急死をきっかけに、大学卒業後は清水市役所に奉職。しかし「いつか自分も経営の世界へ」という想いは消えず、昼は市役所で働き、夜は中小企業診断士の受験勉強、週末は無給でイタリアンレストランの現場修行を続ける。
6年間の試験勉強を経て、中小企業診断士の資格を取得。取得を契機に、7年目で市役所を退職する。
独立後の苦闘
退職後、有限会社繁盛店研究所を設立。しかしコンサルタントとして独立したものの、全く仕事がなく、日々思い悩む日々。食欲もなくなり、心配になって病院を受診すると、医者から「体には問題ありませんが、商売はうまくいっていますか?」と言われ、帰り道に号泣。さらに、独立前にコツコツ貯めていた全財産が底をついた。
この経験から、店舗経営者にも同じように資金繰りや集客で悩んでいる方が多いことに気づく。こうした方たちの業績改善と魅力ある店舗作りのサポートにまい進することを誓う。
笑人の繁盛術
お笑い芸人時代の経験から、小売店や飲食店、美容室、整体院の客数増加や店内販売活動に、お笑い芸人の思考法や行動スタイル、漫才の手法を取り入れることで、クライアントの業績が着実に向上。
実績が積み上がるにつれて信奉者が増え、独自の繁盛店メソッド「笑人の繁盛術」を確立する。
増益繁盛クラブ
発行するメールマガジンは、専門用語を使わない分かりやすさが好評で、読者からの業績アップ報告が絶えず、読者総数は1万人を超える。会員制コンサルティングサポート「増益繁盛クラブ」を運営し、人気テレビ番組「ガイアの夜明け」にも取り上げられる。
北海道から沖縄、さらにはアメリカ・カナダ・オーストラリアからも参加者がいるなど、全国・海外で多くの経営者が実践を続けている。コンサルタント専門誌「企業診断」(同友館)から連載依頼を受けるなど、コンサルタントのコンサルタントとしても活躍中。
EPISODES
ジョイマン物語
─ 生い立ちの秘密に迫る ─
— ジョイマンとは、どんな人間なのか —
誕生期 ─ 駐車場の受付台で覚えた商売
1975年3月20日、5代目の長男として生まれる。元々瓦屋を営んでいた家業は、「これからは車社会になる」との考えから、誕生前に駐車場業へ事業転換。
小さい頃から駐車場の受付に立ち、お客さんに「こんにちは」「ありがとうございました」と挨拶していた。誰に教えられることもなく、自然に商売を学べる環境がそこにあった。
お祭り好きな幼少期
清水の中心部にある自宅の目の前は、毎年「清水みなと祭り」と「七夕祭り」の開催場所。お祭りの時期になると駐車場が満車になるため、おばあちゃんに連れられて連日お祭りに参加していた。お祭りが大好ではしゃぐ少年だった。
お調子者小学生期 ─ サッカーで前代未聞の得点
小学2年〜6年までサッカー少年団に所属。ポジションはバック(ディフェンダー)だったが、5年生の時にバックなのに点を決めた。当時としては前代未聞だった。
「写真を撮るときは真ん中にポジションをとる」のは小さい頃からの癖。同級生にエスパルスの伊東選手がいた。
中学生日記 ─ 軟式テニスで県大会へ
清水第二中学校に進学。幼馴染と軟式テニスでコンビを組み、4番手から入れ替え戦で3番手に昇格して県大会出場。前衛と後衛が試合中に入れ替わる独特のプレースタイルで相手を撹乱した。
テレビ界を目指した高校期
三浦知良さんも通った静岡学園高校に進学。日曜日も授業がある進学校の反動から、「テレビで活躍したい」と夢を抱くようになる。東京の大学だけを目標に受験。1993年、東京経済大学に進学。
大学生期 ─ 上京と芸能への扉
2両編成の電車で通学していた静岡から、15両編成の中央線がある東京へ。サッカー愛好会に所属しつつ、芸能プロダクション所属を目指して履歴書を送りまくり、お笑いライブのネタ見せ会に通うようになる。
お笑い芸人活動期 ─ 100m離れた距離の意味
19歳でお笑い活動を開始。コンビ「コンフィデンス」として渋谷のライブやファミリーマートのCMに出演。原宿の歩行者天国でネタをやっていた頃、わずか100m隣のクエスト前では、吉本興業に入る前のロンドンブーツ1号2号がネタをやっていた。
テレビ東京の番組で岡村隆史を生で見たとき、明らかな違いを感じた。「これがテレビで売れる人なのだと」。4年活動した末、自らコンビを解消。
岡村さんは芸人。私は笑人。仕事の内容は違う。でも、人を笑顔に、そして幸せにすることは違わない。
お笑いをやめて ─ 目標を失ったパチンコ屋通い
お笑い活動をやめた後、目標を失い、大学の目の前にあるパチンコ屋に連日入り浸る生活。周りは就職活動で次々と就職先を見つけていく中、行く当てもなく、未来もなく、パチンコ屋が唯一の自分の居場所だった。
父との別れ ─ 立ち直らせてくれた父
パチンコ屋の新装開店に行こうと帰省を1日ずらした早朝4時30分、友人から1本の電話。「お前の父さんが死んだよ……」。気分が悪くなってから24時間も経たないうちに、父は急性膵炎で亡くなった。
葬儀の後、母と祖母から「清水に帰ってきて働いて欲しい」と告げられ、父が生前勤めていた清水市役所に奉職することを決めた。
同級生は皆就職先が決まり、卒業していく中で、私は一人、目標を見失っていた。その時に、父は自分の命をもって、私を立ち直らせてくれたのだと思っている。
父の最期の部署は、清水駅前周辺の再開発を担当する清水駅前再開発室の室長。街を元気にする仕事だった。私の今の仕事の根底には、ご縁のあった会社のサポートを通じて、その街が明るい元気な街になって欲しいという願いがある。
市役所奉職期 ─ 環境漫才という伝説
清水市役所の環境保全課に配属。元お笑い芸人だった経歴を知った当時の課長から、「環境漫才」による啓発活動という別任務を与えられる。同課の岡村さんとコンビを組み、市内施設を回って環境漫才を披露。朝日新聞にも取材され、結婚式の余興にも引っ張りだこに。
中小企業診断士勉強期 ─ 5年4回の挑戦
「販売促進」という言葉の意味すら分からないところからスタート。中小企業白書の最初の1ページを読むのに1ヶ月以上かかるほどの素人だった。
1年目、撃沈。2年目、別の学校で勉強するも不合格。3年目、東京の学校に毎週末通うも不合格。多くの受験生が3年目で諦める中、しぶとく続けた。制度改正により再度1次試験から受け直し、4年目も2次試験不合格。
合格率3%程度の超難関国家試験。自分との勝負だった。「お笑いは途中で逃げた。だからこそ、診断士試験では最後までやりきらないといけなかった」イタリアンでの週末修行期 ─ 4回断られて、4回目で許可
診断士4年目に「現場を知らなければ」と考え、静岡市と清水市の中間にあるイタリアンレストランに無給で働かせてほしいと申し出る。1回目、断られる。2回目、断られる。3回目、断られる。4回目で許可をいただき、毎週末土日に無給で働かせていただけることになった。
後日マネージャーいわく「最初は怪しいやつだと思った」とのこと。皿洗い・調理補助を通じて、知識だけでは学べない実感覚を学ぶ。
市役所退職期 ─ 5年目4回目で合格
市町村合併により、最も時間拘束の長い部署に異動。半年ほど受験勉強から遠ざかっていたが、結果としてリフレッシュとなり、ゴールデンウィークから集中できた。
背水の陣で5年目にして4回目の2次試験に挑み、ついに中小企業診断士試験に合格。6年目に正式登録、7年間の市役所生活に幕を閉じた。
独立当初 ─ 全財産が底をついた日
独立前から小冊子作成・ニュースレター・メディア戦略を仕掛けていたものの、独立当初は経営者の業績を上げるのは想像以上に難しかった。食欲がなくなり病院に行くと、医者から「体には問題ありませんが、商売はうまくいっていますか?」と言われた。帰り道、号泣した。
独立前にコツコツ貯めていた全財産が底をついた。様々なお店を歩いて回り、現場での販促を徹底リサーチ。「消費者がどのように考え行動するのか?」という購買心理を徹底的に学ぶ。
お笑いを隠すのではなく、お笑い経験を活かす。一度は断念した「お笑い」。そのお笑いが僕を救ってくれた。
人生の目標 ─ 親子二代の使命
人生の目標は、21世紀を代表する、地域のお客さんたちから愛される1,000人の経営者の成長支援を通じて、日本を笑顔で溢れる国にすること。
父が清水市役所の清水駅前再開発室室長として「清水の街が元気になるための業務」を行っていたように、私は父が道半ばでなしえなかった「清水の街を元気にする」という使命を受け継いでいる。
同時に、これからの時代に求められる笑人を全国各地に育成輩出することで、日本各地にその人ならではの魅力あるお店を誕生させ、日本中を笑顔で溢れる国にする。
A REPEATING PATTERN
人生で7回繰り返した、
「失敗と粘り」のパターン
ジョイマンの人生は、ほぼ同じ構造が反復されている。
その粘り強さが、座右の銘「100の知識より1つの実践」に結晶化している。
「お笑いも商売も同じ。
滑った数だけ、成功に近づく。」
POSITIONS
役職・肩書き
PRIVATE
ジョイマンの
素顔
トライアスロン
2014年2月、テニアン島で開催されたターコイズブルー・トライアスロンにて初挑戦・完走。肉体的な挑戦を通じて、ビジネスにも通じる「やり抜く力」を体現している。
マラソン
49歳から始め、最初の静岡マラソンでは22km地点で制限時間により強制終了。それでも諦めず、大井川マラソン2024で念願の初完走。さらに静岡マラソン2025、横浜マラソン2025と連続完走。
「最初はダメでも、続ければ必ずゴールできる」──経営と同じ哲学を、自らの足で証明し続けている。
キックボクシング
48歳からジムに通い始め、アマチュアの試合にも出場。判定負けに終わったものの、闘争本能が再び蘇った。年齢を言い訳にせず新しいことに挑み続ける姿勢は、まさにジョイマンそのもの。
大の旅行好き
国内・海外を問わず旅に出かけ、現地の空気を肌で感じるのが好き。何より、増益繁盛クラブの会員を稼がせて自由な時間を増やしてもらい、一緒に旅行に行くのが一番の楽しみ。「仲間と一緒に遊べる経営」を自ら実践。
家族を愛するマーケッター
どんなに仕事が忙しくても、毎月1回の先祖のお墓参りを欠かさない。家族を大切にし、経営者にも「家族との時間を取れる経営」を提唱する、その原点がここにある。
出身
1975年 静岡県清水市生まれ(現:静岡市清水区)。自営業の家に育ち、親戚一同も会社を経営する商売人一族。受付台に立って商売を覚えた幼少期が、すべての原点。
PRINCIPLES TO LIVE BY
100の知識より、
1つの実践。
商品を売るな、
悩みを解決せよ。
知っているだけでは何も変わらない。やることで変わる。
かつて全財産を失い、医者に商売の心配をされた男が、
今では全国の店舗経営者の利益を倍増させている。
「あの時の苦しみがあるから、経営者の気持ちが本当にわかる」
だからこそ、専門用語を使わず、すぐに実践できる方法だけを伝え続けている。
A MESSAGE TO YOU
私が今日も
店舗経営者と歩く理由
大手チェーンや大型店が全国を均質にしていくなか、街の個性はどんどん失われています。
しかし、個性あふれる一軒の個人店が輝けば、その姿に周囲の経営者も触発され、「私もあの人のように頑張ろう」と意志の火がともります。
その火が次第に広がり、地域に賑わいをもたらす。
たった一軒のお店が、町全体に希望の灯をともすことができるのです。
だからこそ、私は「周りから憧れられ目標とされる経営者」を育成輩出すべく活動しています。
だから今日も私は、
「周りの人から目標とされ憧れられる経営者の育成」のため、
ご縁をいただいたクライアント店舗の社長様たちと
共に悩み、共に考え、一歩一歩成長していきます。
─ ハワードジョイマン