やなせたかしさん年表

年齢出来事
1919年(大正8年)0歳2月6日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)に誕生。
1924年(大正13年)頃5歳父の死により、高知県香美郡在所村(現・香美市)へ移る。幼少期に“喪失”と“孤独”を体験。
1937年(昭和12年)18歳東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部)に入学。デザインや美術に熱中する青春時代。
1940年(昭和15年)21歳東京田辺製薬宣伝部に入社。広告デザインの世界に進む。
1941年(昭和16年)22歳陸軍に召集され中国戦線へ。極限の飢えを経験し、後の創作に深く影響を与える。
1945年(昭和20年)26歳終戦。弟・千尋の戦死を知り、深い悲しみを抱く。
1946年(昭和21年)27歳高知新聞社に入社。のちに妻となる“のぶ”と出会う。
1947年(昭和22年)28歳上京して結婚。三越百貨店宣伝部に勤務。
1953年(昭和28年)34歳三越を退職し、漫画家として独立。創作活動に専念。
1961年(昭和36年)42歳作詞『手のひらを太陽に』が発表され、広く歌い継がれる。
1967年(昭和42年)48歳週刊朝日漫画賞受賞(作品「ボオ氏」)。漫画家としての評価を確立。
1973年(昭和48年)54歳絵本『あんぱんまん』を刊行。優しさと勇気のヒーローが誕生。
1988年(昭和63年)69歳アニメ『それいけ!アンパンマン』放送開始。国民的キャラクターに。
2000〜2012年(平成12〜24年)81〜93歳日本漫画家協会理事長・会長を務め、業界の発展に尽力。
2009年(平成21年)90歳『アンパンマン』の登場キャラクターが1,700種を超え、ギネス世界記録認定。
2013年(平成25年)94歳10月13日、心不全のため永眠。生涯現役を貫く。
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この記事を書いた人

コピーライター/店舗利益最大化コンサルタント
中小企業診断士(経済産業省登録番号 402345)
絵本作家(構想・シナリオ担当)

・有限会社繁盛店研究所 取締役
・株式会社繁盛店研究出版 代表取締役
・株式会社日本中央投資会 代表取締役
・繁盛店グループ総代表

1975年 静岡県清水市生まれ(現在:静岡市清水区)
自営業の家に生まれ、親戚一同も会社経営をしていることから、小さい頃より受付台にたち、商売を学ぶ。

大学入学と同時にお笑い芸人としての活動を経験。活動中は、九州松早グループの運営するファミリーマートのCMに出演。急性膵炎による父の急死により大学卒業後、清水市役所に奉職。

市役所在職中に中小企業診断士の取得を始める。昼間は市役所で働き、夜は診断士の受験勉強。そして、週末は現場経験を積むため無給でイタリアンレストランでの現場修行を経験。6年間の試験勉強を経て、中小企業診断士資格を取得。

取得を契機に7年目で市役所退職。退職後、有限会社繁盛店研究所(旧:有限会社マーケット・クリエーション)を設立。

お笑い芸人として活動していた経験から、小売店や飲食店、美容室、整体院の客数増加や店内販売活動に、お笑い芸人の思考法や行動スタイル、漫才の手法などを取り入れることで、クライアントの業績が着実に向上していく。

こうした実績を積み上がるに従い、信奉者が増える。独自の繁盛店メソッド「笑人の繁盛術」の考え方で、コンサルティングを行う。

発行するメールマガジンは、専門用語を使わない分かりやすい内容から、メルマガ読者からの業績アップ報告が多く、読者総数は1万人を超える。

会員制コンサルティングサポート「増益繁盛クラブ」を運営。人気テレビ番組ガイアの夜明けにも取り上げられるなど注目を浴びる。これまで北は北海道から南は沖縄、そして、アメリカからも参加する方がいるなど、多くの方が実践を続けている。

コンサルタントが購読する「企業診断」(同友館)からもコンサルタントに向けた連載を依頼されるなど、コンサルタントのコンサルタントとしても活躍中。

どんなに仕事が忙しくとも毎月1回の先祖のお墓参りを大事にしている。家族を愛するマーケッター。

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