不安だらけだった20代。すべては、父の死から始まった
こんにちは
ハワードジョイマンです。
私は今、全国の店舗経営者のサポートをするコンサルタントとして活動しています。
でも、昔から順風満帆だったわけではありません。
21歳。大学4年生。
お笑い芸人になる夢に敗れ、目標を見失いました。
毎日パチンコ屋に通い、将来が見えず、就職活動すらせず、ただ時間を潰していました。
「これからどうなるんだろう?」
そんな不安ばかりの毎日。
突然の父の死と、人生の転機
そんなある朝4時半、突然、一本の電話が鳴ります。
「お前の父ちゃん死んだぞ」
…頭が真っ白になりました。
父の死因は急性膵炎。
体調が思わしくないと午前中のうちに、市役所から帰ってきて
24時間もたたないうちに、天国へ旅立ちました。
その後、開かれた家族会議。
祖母と母から「転勤のない仕事にして」そう言われました。
私は、地元の市役所に就職することになりました。
父は街づくりをする部署で働いていたので、「その遺志を継ぎたい」そう思っての選択でした。
しかし現実は、希望の部署には入れず、モヤモヤが残りました。
「このままでいいのか?」
心を震わせたドキュメンタリーと、新たな夢
そんな時、テレビで観たドキュメンタリー。
老舗旅館を再建するコンサルタントの姿。
女将さんが喜ぶ姿に、
「人に喜ばれる仕事ってなんて素敵なんだ」
心が震えました。
私はそこから、中小企業診断士を目指しました。
平日は夜20時から26時まで資格の勉強。
週末は無給でイタリアンレストランで働き、現場の経験を積みました。
それでも、3度、試験に落ちました。
あきらめず、毎年受け続け7年目にしてようやく合格。中小企業診断士の資格を取得することができました。
そして、私は役所を辞めて、独立を決意しました。
独立の現実。全財産ゼロ、病院での言葉
しかし──
家族には反対され、親戚からは罵倒され、役所の同僚からも笑われました。
独立後も成果が出ず、預金はどんどん減り、2年半で全財産がゼロに。
体調を崩して病院に行った時、医者にこう言われました。
「身体に異常はありませんが、商売うまくいってますか?」
悔しくて、帰り道に涙があふれました。
でも気づきました。
私と同じように商売で悩み、心も身体も疲れてしまう人がいることに。
「そんな人の力になりたい」
そう強く思いました。
妻との約束。人生をかけた再挑戦
全財産が尽きたことを、妻に告白した日のことも今でも忘れません。
夕食後の散歩中。
信号が赤のうちに言おう。
そう覚悟を決めて、話しました。
妻は、
「300万円だけ貸す」
「これが尽きたら再就職して」
と条件を出しました。
誓約書を書きました。
人生をかける覚悟が、そこで決まりました。
全国の仲間との出会い。そして今
そして、少しずつ光が見え始めました。
「笑人塾」(現在の増益繁盛クラブ)を立ち上げ、最初に参加してくださったのは、伊豆の精肉店さん、岐阜の洋品店さんの2店舗。
フェリーで伊豆の精肉店さんに向かい、一緒にハンバーグを作りました。
クラッシュアイスを入れながらひき肉をこねる作業は手が凍えるほど冷たくて痛い。
でもこの方は毎日こうして頑張ってる。
そう気づいた時、本当に胸が熱くなりました。
そこから、ご縁が広がり、全国にお店の仲間が増えました。
「ジョイマンさんと出会えて人生が救われました」
そう言っていただけることが何よりの宝物です。
あなたに伝えたいこと
でも、私は決して器用な人間ではありません。
むしろ不器用で、劣等感だらけで、何度も涙を流してきました。
だからこそ、今あなたに伝えたいのです。
「あなたも大丈夫です」
今、商売が思うようにいかなくても
今、誰にも相談できずにいても
これから一緒に頑張っていけば、きっとお店は変わります。
お客様に愛される繁盛店になります。
このメールを通じて、あなたの味方であり続けます。
一緒に未来を切り拓いていきましょう。
ハワードジョイマン
中小企業診断士
利益倍増アドバイザー
ハワードジョイマン