ハワード・ジョイマン エピソード11 中小企業診断士勉強期
こうして昼間は市役所で勤務し、家で中小企業診断士の勉強の日々が始まりました。
ただ、市役所の職員でこのような勉強をする方はいないので、「周りからはなんでそんなことをするの?」と多くの方から言われました。
しかし、こうした風当たりに負けていては到底目標は実現できないので、誰に言われようが何しようが、私の勉強は続いたのです。
しかし、なにせ経営の勉強などこれまでしたことも無かったので、最初は、本を買ってそれを読んでもも販売促進という言葉すら意味が分りませんでした。
さらに、中小企業白書という経済産業省が毎年出す本があり、これが試験でも出されるのですが、最初の1ページ目を読むのができずに、それだけで1ヶ月以上過ぎるほどでした。
こうして私は、本格的に勉強を始め、更に専門学校に通い中小企業診断士の受験対策コースを受講しました。
しかし、さすがに最終合格率3%程度の超難関の国家試験だけあって、1年目は撃沈でした。
そんなに簡単には合格させてくれないなと思いながらも、2年目も別の学校に毎週末通い、真剣に勉強したのですが、また不合格でした。
とにかく中小企業診断士試験に合格したい私は、診断士試験の前に休みが取りやすく、比較的残業の無い部署だと目論んだ管財課への異動を申し込み、市役所4年目に管財課に異動することができました。
写真は、管財課(2001年)当時の写真。
これでは駄目だと思い、3年目は東京の学校に通いました。市役所での給料は、中小企業診断士の勉強と、毎週末の往復の新幹線代金に消えていき、折角東京へ通うので、学校帰りには人気のレストランやショップを色々見てまわり、将来の参考にしていました。
さすがに、3年目で合格するだろうと思っていたのですが、なんと3回目のチャレンジも駄目でした。
多くの受験生が3年目で諦めます。なぜなら、3年目ともなると、新しく勉強を始めた方が1年で合格するのも直面するので、かなりの方が、腐り始めます。しかし、私は合格しなければ次に進めないので、しぶとく受験勉強を続けました。
実は、この時に、試験制度の改正があり、私は1次試験は合格していたのですが、規定により再度1次試験から受けなおさなければいけなくなってしまったのです。
4年目は、心機一転、学校も変え、大学の大先輩である山根義信先生のクラスに通いだしました。
4年目は、様々な受験機関の模擬テストも全国トップ10に入ることもあり「今年こそは大丈夫だ!」と確信していたにも拘らず、結果は2次試験で不合格。
さすがに、へこみました。そして、ちょうど、市町村合併の関係で連日、深夜11時頃までの残業が続き、受験勉強から遠ざかっていったのです。