ハワード・ジョイマン エピソード10 市役所奉職期
父の死をきっかけに清水に戻り、お笑いの世界から一転して清水市役所で地方公務員として奉職しました。
最初に配属された部署は、環境保全課という部署で、奇しくも父が市役所奉職当時に配属されていた部署だったのです。
業務内容は、企業に対する騒音・振動の指導、排水(水質保全)対策指導から、市内の河川の水質保全業務で定期的に水質分析がありました。
私は、元々文系でしたので水質分析は苦手でした。しかし、仕事ですから一生懸命やるのですが、先輩上司から連日のように怒られていました;笑
ある日、私がBODという水質分析項目の検査のときに使う2液を、分析中に誤って口に入れてしまい、病院に緊急入院しました。
実は、2液の中にはアジ化ナトリウムが入っていて病院の医師からかなり怒られました。汗
市役所に入って、このような業務を中心としながらも、元々お笑い芸人で活動していた事を当時の課長が知り、私には環境に関する別の任務も与えられていました。
それが、環境を題材として漫才をするという環境漫才による環境啓発活動でした。
私は、コンビでやっていましたので2人でやりたいと申し出て、岡村さんという同じ課の仲の良い先輩とコンビを組み、市内の各施設を回り環境漫才をやるようになったのです。
これが話題になりついには朝日新聞社から取材がくるなどしました。(下記写真参照)
こうして、僕と岡村さんの環境漫才で市役所に入って1年目にも拘らず、全員に名前を知ってもらえました。笑
すると結婚式に来てくれといわれるようになり、多くの結婚式で余興をやるようになってしまいました。笑
その時の一こまがこの下記の写真です。私がウェディングドレスを着たほうで、岡村さんが赤のタイツを着たほうです。
ちなみに、環境漫才は、岡村さんと私の伝説の仕事となりました。たぶん、日本全国の自治体を探しても私たちしかできない業務だと思います。これも当時の課長が、自分の長所を活かしてくれた例です。
今では、良い思いでですね。
さて、僕は、父の死をきっかけに、父が職務半ばで終わった「清水駅周辺再開発」を私が引き継げればと思い、市役所職員になったというきっかけがあったのですが、実際に勤めてみると職場は3年ほどの周期で交代になり、しかも、その目的としている職場で働けるかも分からない現実がありました。
この時に、存在をしったのが中小企業診断士という資格でした。
中小企業診断士とは、国が認める唯一の経営コンサルタントの国家資格で今、人気の資格です。
もちろん、経営コンサルタントは資格などなくても、自分で名乗れば経営コンサルタントになりますので、経営コンサルタントの殆どが、中小企業診断士の資格をもっていません。
私は、以前、テレビ番組で某経営コンサルティング会社のコンサルタントが老舗の温泉旅館を建て直すという番組をやっていたのを見ていまして、その時に、実際に土産物売り場を手直ししたら、その場で売上げが上がったのを見て、自分もやりがいがあって、お客さんからも喜ばれる仕事なんてすばらしいという記憶があったのです。
こうして私は、中小企業診断士の資格を取得すれば清水の会社の業績支援をし、更に、私も清水の街を元気にする会社の1つに加わることで、より清水の街が活性化されるという強い思いを抱き、全くのゼロから中小企業診断士の試験勉強を始めようと思ったのです。