ジョイマンの部屋

ハワード・ジョイマン エピソード9 グッバイ、ダディー。父との別れ

目指していたお笑いをやめた後、目標がなくなった私は連日パチンコ屋に入り浸っていました。

あるパチンコ屋の新装開店に行くため、清水の家に帰省する日を1日ずらし、今日、帰ろうと思っていた早朝4時30分すぎ・・・、当時、半同棲していた彼女の家で寝ていた時に友人から1本の電話がありました。

「お前の父さんが死んだよ・・・」

あまりの突然の知らせに「ドッキリ?(冗談だろう!)」と答えました。

友人「ドッキリで言うわけないだろ!」

病気1つしたことの無かった父の突然の死を理解できませんでした。

死因は、急性膵炎でした。気分が悪くなってから24時間も経たないうちに父は亡くなりました。

「僕は何をやっているんだろう・・・・」

父の元に向かう新幹線の中で涙をいくら流しても、もう遅い現実でした。

そして、父の葬儀も終わり、私の今後について母と祖母と話をしました。

母と祖母は、「清水に帰ってきて働いて欲しい。そして、転勤のある会社だと駐車場もあるから止めて欲しい」との事で、私は、父が生前勤めていた清水市役所(合併により現静岡市役所)に奉職することに決めたのです。

父が死んでから2ヶ月ほど経ったある日、百一番のママさんから電話がありました。

「しげちゃんのことが漫画になってるよ。」

そして、コンビニに走って買った週刊漫画ゴラク。

そこには、谷村先生が当時執筆していた「パチプロ探偵ナナ」の第43号狼男で私の父の死に関するテーマで漫画になっていました。

今でもこの時の漫画を持っていますが、谷村先生からの「頑張れよ」というエールだと思っています。

同級生は皆就職先が決まり、あとは卒業していく中で、私は一人、目標を見失い先の見えなかった日々・・・。

その時に、父は、自分の命をもって、私を立ち直らせてくれたのだと思っています。

父の最期の部署は、清水駅周辺の再開発を担当する清水駅周辺再開発室の室長でした。街を元気にする仕事です。

私は、現在、中小企業診断士として全国各地の経営者の皆さんのサポートをしております。その根底には、ご縁のあった会社のサポートを通じて、その街が明るい元気な街になって欲しいと言う願いがあります。

そして、父が遣り残した清水の街の再開発は、私が将来、様々な業態の店舗を出店することで、清水の街を明るい元気にしたいと考えています。

追伸

昨年、10年ぶりに大学時代の愛する街、東京国分寺に行きました。

毎日通っていたパチンコ屋は建物自体がなくなり、毎日通っていた中華百一番も無くなっていました。10年一昔と言いますが、本当ですね。街は全て変わりました。

でも、あの頃の思い出は、今でも私の心の中で生き続けています。

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