
菓舗 木村屋(熊本県上天草市大矢野町)
木村光利さん

熊本県上天草市大矢野町で菓子店「菓舗 木村屋」を営む木村光利さんに、「笑人塾」が店の繁盛にどう役立っているかうかがいました。
(写真左から、お母さんの眞理子さん、店主の光利さん、奥さんのめぐみさん、ジョイマン)
| もくじ |
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木村さんについて
― はじめに、木村さんの自己紹介をお願いします。
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こんにちは。木村 光利(きむら みつとし)です。 和菓子職人です。 熊本県上天草市の大矢野町で、「菓舗 木村屋」というお菓子屋をやっています。 1967年生まれ。現在44歳です。 妻、母、娘(4歳)、息子(1歳)との5人暮らしです。 ― 大矢野町は、どのような町ですか。 大矢野町は、天草諸島の主島の一つである大矢野島(約30km2)を中心に、5つの有人島と13の無人島から成る、人口約15,000人の町です。 天草諸島は、長崎県の島原半島とともに、「雲仙天草国立公園」に指定されている観光地です。年間約480万人の観光客が訪れます。120余りの島々から成り、上島(225km2)、下島(574km2)などの主島は、九州本土と6つの大橋で結ばれています。 大矢野島は、九州本土から見て、天草諸島の入口になる島です。 大矢野町の中心から熊本市の中心までは、車で1時間20分ほどです。 ― 木村さんは、笑人塾にいつ入会しましたか。 笑人塾には、2010年の11月に入会しました。 |
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菓舗 木村屋について
― 菓舗 木村屋は、どのような菓子店ですか。
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菓舗 木村屋は、大矢野島のほぼ真ん中の、旧市街地にある菓子店です。 広さは売り場が1坪ぐらい、作業場と倉庫の面積を合わせて10坪ぐらいです。 私と妻と母の、3人だけでやってます。 この店は、今から90年ほど前に、私の祖父が、飴などを売る店として始めました。 終戦直後ぐらいに、今の場所に移ってきたようです。 当時このあたりは、天草諸島でも有数の繁華街だったそうです。 呉服屋も、映画館も、郵便局も、すべてこの通りにあって、付近の島々の人も、この町にはヨソ行きの服で来ていたそうです。 現在はこの町も過疎化が進み、お店にいらっしゃるお客さんもまばらになりました。 |
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今メインの収入になっているのは、上天草市の物産館「さんぱーる」に出している、無人ブースでの売上です。 この物産館では、地元の野菜や魚や花が安く買えるので、観光客の方だけでなく、地元の方々も大勢買い物に来られます。 無人のブースでも売上が上がっているのは、ジョイマンから教わって作ったポップが、売り子の役目を果たしてくれているからです。 |
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昨年から、楽天市場で、ネット販売も始めました。 ホームページ作りは、妻が1人でこなしてくれてます。 まったくの素人が、他の仕事の合間に作っているホームページですが、リピートのご利用が多いこともあって、売上はそこそこ上がっています。 楽天では売上は上がっても利益がなかなか残らなかったのですが、ここ最近は、ジョイマンの指導もあって、少しずつ利益が残るようになっています。 |
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和菓子職人になるまで
― 木村さんは、どのような経緯で和菓子職人になりましたか。
私は家がお菓子屋さんでしたから、物心ついた頃には、将来はお菓子屋さんになるものと思ってました。
小学校に入るぐらいの頃には、家の裏に生えてるヨモギを取ってきて、父にもらった粉やあんこで、草餅を作ったりしていました。
中学生〜高校生の頃は、毎年5月の一番忙しい時期は学校を休んで、店の仕事を手伝っていました。
地元の高校を卒業後、東京の世田谷にある、菓子の専門学校に進学しました。
専門学校では、月曜から金曜まで終日お菓子づくりの実技、土曜日は製菓衛生士試験の学科の勉強、という日々を送りました。
専門学校の実技試験の課目は、私が中学生の頃から家の手伝いでやっていた技術でした。
専門学校の2年目には、バタークリームの絞り出しでバラの花を造形する技術などを、同級生に教えていました。
自分で言うのは気恥ずかしいのですが、当時の私は、お菓子作りに関しては、同じ年代の中でも、トップレベルだったと思います。希望すれば、たぶんどこの店でも私を雇ってくれたと思います。
東京中を食べ歩いて「一番おいしい」と思った店に弟子入り
― 最初に勤める店は、どのように選びましたか。
専門学校には、様々な店の求人票が来ていました。
皇居にお菓子を納めている、超高級店の求人票も来ていました。
日本を代表する有名店からの求人票も来ていました。
でも私には、「格式のある店に勤めたい」とか、「有名な店に勤めたい」とかいう気持ちはありませんでした。
自分で食べてみて、「一番おいしい」と思った店に勤めたかったんです。
それで、東京で「おいしい」と言われている菓子店を、片っ端から食べ歩きました。
その中に1つ、抜群においしいお店がありました。
食べた瞬間に、「ここだ!」と思いました。
横浜駅から私鉄電車に8駅乗って、そこからさらに20分歩く、住宅地のお店でした。
しかも当時はまだ、1軒お店を構えていませんでした。
1階に5、6軒お店が並んでいて、2階がアパートになっている、小さなストアの一角のお店に過ぎませんでした。
そんな場所で、10年近くお菓子を作って売っていたお店でした。
職人は、社長1人。
あとは、社長の奥さんと、パートの女の子が2人いるだけ。
私の体型ではつっかえて中に入れないほど、狭い工場でお菓子を作っていました。
たまたま専門学校の同級生が近くに住んでいて、このお店のことを教えてもらったのですが、その同級生がいなかったら、このお店のことは知らないままだったと思います。
そんなお店のお菓子が、東京中を食べ歩いたどのお店のお菓子より、おいしかったんです。
横浜市旭区中白根の「和作」というお店です。
あとでわかったのですが、その店の社長は山田強さんと言って、実はものすごい技術者だったんです。
日本中の和菓子職人が技術を競うコンテストで、金賞を何度も取ってるような方でした。
それで山田社長にお願いして、弟子にしてもらい、「和作」に住み込みで働き始めました。
私が20歳の時です。
私が働き始めた時、小さなストアの1コーナーだった「和作」は、翌年には、3階建ての自社ビルを建てました。
社長の技術のすべてを教わり、入社1年目から工場長に
― 弟子入りした「和作」での修行は、どのようなものでしたか。
「和作」では、山田社長の技術のすべてを教わりました。
私にとって幸運だったのは、店で私より上の方が、ずっと社長1人だったことです。
だから、先輩づてではなく、社長から直に技術を教わることができました。
先輩からの「いじめ」や「しごき」のようなものも、まったく経験せずに済みました。
山田社長も、「いじめ」や「しごき」のようなことを、まったくされない方でした。
ですから私は、ものすごく恵まれていました。
人手は常に足りなかったので、私よりベテランの職人の方も、次々に採用されました。
でも、1人も定着しませんでした。
山田社長が作るお菓子のレベルが、あまりにも高かったからです。
菓子職人が、「これと同じお菓子を作って」って言われて、作れなかったら、アウトですよ。
だからすぐ辞めてしまうんです。
私も、山田社長に付いていくのに必死でした。
社長がすべて教えてくれる代わりに、教わったら即、できないといけなかったからです。
1年目から、工場長の立場を任されました。
1日に作るお菓子の数も、たいへんなものでした。
いつも店の前にお客さんが行列を作ってましたから。
小さな作業台の上で、お饅頭や、大福や、「上生(じょうなま)」と呼ばれる意匠を凝らした和菓子を、普通の日でも1人で500〜600個、正月などは1日2000個以上作っていました。
ものすごい集中力が必要でした。
あまりにお菓子作りに集中していて、誰も私に声を掛けられないほどでした。
朝から晩まで小さな作業台の上に集中していたら、2年目には、遠くがぼやけて見えなくなりました。
そうして山田社長に必死で付いていった2年目、私にとって、さらに大きな幸運が訪れました。
ドイツの菓子学校講師就任の話を断り、「和菓子界の巨匠」に師事
― どのような幸運が訪れたのですか。
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「和菓子界の巨匠」と呼ばれている方から、技術指導をしていただけることになったのです。
高山石雄先生という、山田社長の先生にあたる方です。
戦後長らく、職人が150人ぐらいいる有名和菓子店の工場長を務められた後、技術指導者として、日本中の和菓子店を指導して回られている方でした。「和菓子界の水戸黄門」とも呼ばれている方でした。
「和作」が自社ビルを建てた時、当時70歳ぐらいだった高山先生が、お祝いにいらっしゃいました。
その時、高山先生が月1回「和作」の技術指導に来てくださる話がまとまりました。
高山先生が山田社長を指導する場に、私も、毎回立ち会わせていただけることになりました。
実はちょうどその頃、「ドイツで製菓学校を作るので、そこで和菓子の講師をしてくれないか」というお話を、ある製菓学校からいただいていました。
年俸は500万円という話でした。
菓子職人が、20歳そこらで年収500万円というのは、普通はあり得ない数字です。
ドイツに行って、菓子学校の講師になる道を選ぶか。
日本に残って、高山先生の弟子になる道を選ぶか。
しばらくは迷いました。
しかし「巨匠」と呼ばれる方の技術を授かる機会は、何ものにも代えがたく、ドイツでの講師就任のお話を断り、日本に残る道を選びました。
私が21歳の時です。
高山先生の下での修行は、それは厳しいものでした。
月1回、先生が指導に来られる日は、本当に緊張しました。
高山先生と山田社長がその月の上生菓子を一緒に作っている間、私は助手として洗い物をしたり、布巾がちょっとでも汚れたら新しいのをパッと畳んで差し出したりしながら、横で見せていただくんです。
それを一生懸命やってると、高山先生が私にも指導してくださるという感じでした。
高山先生は、数字では教えてくれないんですよ。
練ったあんこを握らせて、「わかったね」。
そういう感じなんです。
それで教わったことを、次の月にまったく同じようにできなかったら、その先は教えてくれないんです。
しかも、一度教えたことは、二度と教えない。
そういう厳しい教え方でした。
ものすごい集中力が必要でした。
山田社長の下で培ってきた集中力が、そこで役立ちました。
だから高山先生の教えも、クリアしていけたんです。
指導に来られた日、高山先生は店に1晩泊まっていかれるのですが、夜中に、私が展示会用のお菓子を作っていたり、菓子技能士の試験勉強をしていたりすると、先生が教えに来てくださることがよくありました。
高山先生の手からは、まるで手品みたいにお菓子ができてくるんです。
ひゃって握ると、鶴ができたりとか。
だから先生の技術を真似るのは、本当に大変でした。
高山先生に技術を授けていただけたことは、私にとってかけがえのない財産です。
お母さんがくも膜下出血で倒れ、「和作」での修行を断念
― 高山石雄氏の指導は、いつ頃まで続きましたか。
毎月高山先生のご指導を受けつつ、横浜の「和作」で働く生活は、思わぬ形で、終わりを迎えました。
「和作」で働き始めて4年目、母がくも膜下出血で倒れたのです。
父から電話で知らされ、翌朝一番の飛行機に乗り、大矢野町の実家に帰りました。
母は危篤状態で、動かすこともできません。
倒れて10日近くも経ってようやく、熊本市内の病院で手術してもらえました。
それから母が退院するまでの半年、大矢野町の実家から、熊本市内の病院まで、ほぼ毎日、母を見舞に行く日々が続きました。
実家の菓子店「菓舗 木村屋」も、父一人に任せるわけにはいきません。
4年半勤めた「和作」を辞め、自分も「菓舗 木村屋」で働くことに決めました。
高山先生からの技術指導は、修了まであと少しというところまで来ていましたが、断念しました。
私が24歳の時です。
一つ心残りだったのは、高山先生から「最後にこれを君に教えてあげる」とお約束いただいていた上生菓子を、教わらないまま終わってしまったことです。
沢蟹が本当に川の中にいるように見える上生菓子で、高山先生以外、誰も作れないお菓子なんです。
あの技術を私が受け継げなかったことが、唯一の心残りですね。
「和作」を辞めてから数年後、高山先生が、5人の弟子に免許皆伝の賞状をくださいました。
高山先生が賞状をくださったのは、山田社長と私と、他に宮崎・三重・和歌山の3軒の和菓子店の方です。
高山先生からいただいた賞状は、私の宝物です。
実家の菓子店に帰ったら、町はゴーストタウンだった
― 実家の菓子店で働き始めて、仕事はどのように変わりましたか。
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実家に帰って来て、一番びっくりしたのは、町がもうゴーストタウンなんですよ。
店の前に立って、左右を見たら、ほんとに人っ子一人いないんです。
お客さんが、店にほとんど来ない。
結婚式や法事の仕出しの仕事があったので、とりあえず生活していくことはできました。
田舎なので、週末ごとに、法事のお菓子の仕事だけで何十件も入っていました。
法事のたびに家に何十人も親類を呼んだり、「何回忌」と書いた石塔型の落雁菓子を作ったり、お饅頭やようかんを配ったりする習慣も、まだ残ってました。
でもそんな習慣が、いつまでも続くとは思えませんでした。
法事を外食で済ませる家が、少しずつ増えていましたから。
仕出しに頼りきった状態を、なんとか脱したくて、いろいろなことを試しました。
「和作」で作ってたのと、まったく同じ上生菓子を店に並べてみました。
「和作」では行列ができるほど売れたお菓子も、田舎では、まったくと言っていいほど売れませんでした。
お菓子教室も開いてみました。
最初は生徒さんが集まったのですが、お菓子教室で一般の方向けに教えられるお菓子って、どうしても季節ごとにパターンが限られてます。
町の人口も知れてるので、すぐ飽和状態に達してしまって、5年ぐらいやったところで、お菓子教室はやめてしまいました。
意匠を凝らしたウエディングケーキを作る仕事もしてみました。その頃若乃花・貴乃花の結婚式で、凝ったデザインのシュガーケーキが使われて、そういうウエディングケーキがはやってたんです。
ゴルフ好きの方の結婚式のために、ゴルフ場型のウエディングケーキを作ったり、お互い別の島で育った新郎新婦のために、それぞれの島そっくりのウエディングケーキを作ったりしました。
評判はすごくよかったです。
でもそういうケーキって、1人で作ると、まるまる2週間かかってしまうんです。
東京なら20万〜30万円は簡単に取れるケーキも、田舎では、せいぜい15万円にしかなりません。
2週間まるまるかかって、売値が15万円以下では、続けるのは厳しかったですね。
自分の技術への自信がゆらぐ日々
「和作」を辞めて、こちらに帰って来た時は、自分の技術に自信満々でした。
作ったお菓子が飛ぶように売れる店で、工場長を務めて、その店とまったく同じお菓子が作れるんです。
「和菓子界の巨匠」と呼ばれる先生の、厳しい教えもクリアしましたし。
あの頃は、おいしければ、売れるのがあたりまえだと思ってました。
それがこちらに来たら、自信満々で作ったお菓子が、まったく売れない。
そうすると、だんだん不安になってくるんですよ。
「俺、ほんとに作れてるのかな‥‥」って。
なので年に1回ぐらい、横浜の「和作」に行って、3日〜1週間ぐらい泊まりがけで、工場を手伝わせてもらってました。
手伝いに行くと、山田社長から、いろいろと新しいお菓子を教えてもらえました。
何より、日本でもトップレベルの和菓子店の仕事を、バーッとこなして帰ってくると、また自信が戻ってくるんですよ。
「あー俺、まだできるんだ」って。
2000年に、山田社長が、「TVチャンピオン」というテレビ番組の「400回記念 和菓子職人チャンピオン大会」という回で優勝された時も、私と、私が工場長時代に迎えた凄腕職人の方の2人で、1週間「和作」に泊まり込んで、朝から晩まで、番組収録用の飾り菓子作りをお手伝いしました。
山田社長が優勝された時は、本当に嬉しかったです。
天日干し小豆のあんこの風味を求め、小豆の煮方を10年研究
私は、山田社長と高山先生に習ったお菓子作りを、基本的に変えていません。
「変えない」というのは、簡単なようで、難しいことです。
でも、基本を崩して味が落ちた店を、私はいくつも見ているので、教わった基本は変えたくないのです。
ただ、私なりに研究を重ねて、やり方を変えた部分もあります。
その一つが、小豆の煮方です。
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大分県の山奥に、白水鉱泉という、天然の炭酸水が湧く場所があります。
そこで湧く天然炭酸水は、糖尿病など、様々な病気に効くと言われています。
父が糖尿病だったので、実家に戻って3年ほど経った頃から、ほぼ毎月、車で往復8時間ほどかけて、この天然炭酸水を汲みにいくようになりました。
ある日、白水鉱泉に水を汲みに行く途中、農家の方が野菜などを無人販売しているスタンドで、よもぎ餅を売っているのを見つけました。
私はお菓子が大好きなので、その無人スタンドのよもぎ餅を、1つ買って食べてみました。
そうしたら、「これは何だ!?」って、びっくりするぐらい、あんこの風味がいいんです。
衝撃でした。
うちのあんこは、この無人スタンドのよもぎ餅のあんこに、完全に負けてると思いました。
おそらく、その無人スタンドのよもぎ餅のあんこは、農家の方が自分で育てて、天日で干した小豆を使っていたんです。
私たちが普通手に入れられる小豆は、機械で乾燥させた小豆です。
天日干しだと、機械乾燥と違って、豆の香りが失われません。
風味がまったく違うのは、当たり前だったんです。
そこから、私の研究が始まりました。
天日干しの小豆を使うのは、流通量的にも、価格的にも、無理があります。
そこで、どうすれば機械乾燥の小豆で、天日干しの小豆に匹敵する香りを出せるのかを研究しました。
この研究に、10年かかりました。
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今うちでは、小豆を煮る前に、まず手作業で、煮えにくい豆を取り除いています。
固い豆、大きすぎる豆、小さすぎる豆、割れた豆、虫食い豆‥‥。
すべて取り除きます。
煮えにくい豆が混ざっていると、全部の豆が煮上がる頃には、豆の風味が失われてしまうからです。
以前は小豆を煮上げるのに、3〜4時間かかっていました。
今は煮えやすい豆だけを選んでいるので、1時間ちょっとで煮上がります。
以前の煮上げ時間の、3分の1程度です。
そうすると、ちょうど豆の青臭さは消えて、風味はほぼ完全に残る、ギリギリのところで煮上げられるんです。
小豆を煮る水を含めて、お菓子の中に入る水はすべて、白水鉱泉の天然炭酸水を使っています。
ほぼ毎月、車で往復8時間かけて、20リットルのタンクで毎回20本ぐらい汲んできます。
この水は、常温でも6カ月は腐りません。
体にもいい。
小豆を煮るのにも、最高の水です。
煮上げた小豆は、蜜に1時間程度漬けます。
蜜に漬ける時間の長さは、季節や用途によって調整していますが、小豆の風味が失われないように、ぎりぎりまで短くしています。
以前は半日から1日蜜に漬けていましたが、そうすると、風味が失われてしまうんです。
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粒あんを練る時は、あまり小豆を潰さないように、へらで手練りしています。
こうして豆・水・煮方・寝かせ方・練り方のすべてについて、約10年工夫を重ねてようやく、あの無人スタンドのよもぎ餅に匹敵するあんこが作れるようになりました。
私が37歳の時です。
あんこ作りに関しては、たぶん今の私のやり方が、最高ではないかと思っています。
あんこで「和菓子界の巨匠」をうならせる
長年求めていた風味のあんこが作れるようになってしばらくして、「和作」山田社長の「TVチャンピオン」優勝を祝うパーティーが、横浜の大きなホテルで開かれました。
私も、そのパーティーに招いていただきました。
当日、私は会心のあんこでおはぎを作って持参しました。
パーティーには、高山先生も出席されていました。
自分が作ったお菓子を師匠に食べていただくというのは、弟子にとって、ものすごく勇気がいることです。
勇気を振り絞って、私が作ったおはぎを、高山先生に食べていただきました。
そうしたら、高山先生がうなってくださったんです。
「おーっ、これはすごい!」って。
もう、鳥肌が立ちましたね。
今思い出しても、目頭が熱くなります。
高山先生にあんこを褒めていただいたことが、私にとって、ものすごい自信になっています。
おいしさを突き詰めるほど売上は落ちていった
そうやってお菓子のおいしさを突き詰めていっても、店の売上は、どんどん落ちていきました。
予想はしてたことですが、売上の中心だった法事のお菓子の仕事も、少しずつ減っていきました。
「地味婚」というのがはやりだして、結婚披露宴用のケーキやお菓子の仕事も減りました。
うちを気に入ってくれていた担当の方が替わったり、新しいお菓子屋さんができたりすると、仕事がさらに減りました。
コンビニでもどこでも和菓子が買えるようになると、店にお菓子を買いに来てくださる方が、ますます減りました。
店に来るお客さんをなんとか増やしたくて、島に新しくできた物産館「さんぱーる」に、無人ブースを出させてもらいました。
物産館でうちのお菓子を知ったお客さんが、店に来てくださることを期待したんです。
土日は観光客の方、平日は地元の方が大勢訪れる場所だったので、そこそこ数は出るようになりました。
ただ、場所柄、売れるのは値段が低めのお菓子に限られていましたし、売上から一定割合で引かれる手数料もあるので、あまり大きな利益にはなりませんでした。
物産館でお菓子が売れるようになっても、店に来てくださるお客さんは増えませんでした。
最初は、物産館の売上はサブ収入でした。
ところが、メインの収入源だった仕出しの仕事が減り続けて、そのうち、物産館のわずかな売上が、メインの収入源になってしまいました。
自分では、うちのお菓子はどこよりもおいしいと思って作っていました。
もっとおいしいお菓子が出せるように、日々工夫も重ねていました。
でもなぜか、おいしさを突き詰めれば突き詰めるほど、売上は落ちていきました。
お父さんが病気で倒れ、自分も過労で体を壊す
そうして売上が落ち続ける中、父が病気で倒れました。
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私が38歳の時です。
父が入院してからは、2人分の仕事を1人でこなそうと、人の倍頑張りました。
朝の4時とか5時には起きて、夜の11時、12時までぶっ通しで仕事して、また翌朝4時とか5時に起きて仕事する生活を続けました。
でもそんな生活、いつまでも続けられませんよね。
私まで体を壊してしまいました。
何かのイベントの手伝いをしていた時、へた〜っと座り込んで、パネル1枚運べなくなってしまって、知り合いのお医者さんのところに行ったんです。
そうしたら「木村さん、人間って寝ないと死ぬよ」って言われて。
心臓が弱ってしまっていたんです。
もう物産館にお菓子を出すので精一杯で、店にお菓子を並べるのはあきらめました。
自分の店で、あんこを小豆から煮るところからやるって、普通、1人では無理なんですよ。
うちは豆を手でより分けるところからやるので、小豆の粒あん作りだけで、1日4時間はかかります。
こしあんになると、皮を除いたりこしたりする作業が入るので、7時間はかかります。
たいていのお菓子屋さんは、製餡所で作ったあんを仕入れて使うんです。
でも私は“あんこの世界”に入ってしまったので、もうやめられないんですよ。
あんこって、小豆がうま〜く炊けると、栗みたいな味と香りがするんです。
そういうあんこを体験してしまったら、もう、よそのあんこは食べられないんですよ。
おもちはその日の朝に作ったのが一番おいしいので、お饅頭も大福もおはぎも、毎朝おもちから作ります。
その日売れ残った分は、全部捨てます。
お饅頭も大福もおはぎも、本当においしいんですけど、あの頃は毎日必ず売れ残りが出てました。
賞味期限1日のお菓子を、毎日20時間近く働いて作って、毎日捨てるなんて、自分の体力を捨ててるようなものだと、妻に言われました。
でもやっぱり、一番おいしいお饅頭や大福やおはぎをお客さんに出したかったので、毎朝のおもち作りも頑張って続けました。
食べていける売上さえなくなり、最悪のことも考えた
父が病院での1年2ヶ月の闘病の末、2006年に亡くなりました。
父の葬式をあげて、その後も田舎なので1週間おきに親類・知人を呼んで四十九日までやったら、それまでのいろいろな疲れがどーっと出て、店を100日閉めました。
100日も店を閉めたら、もうアウトですよ。
その後店を開けても、お客さんが全然来ない。
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2008年には、物産館の新館ができて、それまで1箇所に集中していた人の流れが分散してしまい、物産館の売上まで激減しました。
もう家族が食べていくための、ぎりぎりの売上さえなくなりました。
物産館に頼んで、館内で、立ち売りをさせてもらうことにしました。
毎日、開館時刻に間に合うように朝早くからお菓子を作って、私と妻と母の3人で、朝から夕方まで館内に立ってお菓子を売りました。
最初の月は、珍しさもあってか、それまでの新記録の売上が上がりました。
でもそれも、最初の月だけでした。
しばらくすると、立ち売りをしても、無人でやっていた頃と売上が変わらなくなりました。
地元のお客さん達も、私達を避けて、別の入口から物産館に入るようになりました。
最後には物産館から、「このスペースにみかんを置きたいから、外で売ってくれ」と言われました。
「うちのお菓子、みかんに負けたんだ‥‥」と思いました。
結局、立ち売りもやめてしまいました。
あとはもう、売上が落ちる一方です。
去年(2010年)の3月には、思い切って、楽天にも出店しました。
なんとか売れることは売れました。
でも、広告費や手数料や送料を差し引くと、利益は残りませんでした。
「子供もいるのに、これじゃあ食うていけんよ‥‥どうしよう」と思いましたが、もうできることが、何一つ思いつきませんでした。
「そろそろ違う仕事もせないかんのかな‥‥」と思いました。
本当に、最悪のことも考えかけました。
笑人塾との出会い
― 笑人塾との出会いについて教えてください。
笑人塾のことは、本当に偶然、ホームページを見つけて知りました。
去年(2010年)の11月、あまりにもお菓子が売れなくて暇だったので、パソコンで、普段は見もしないネットを見てたんです。
アイドルの画像か何かの下に文字が流れて、なんだろうと思ってクリックしたら開いたのが、笑人塾のホームページでした。
「ハワード・ジョイマン」って書いてあったので、最初は「外人さんが日本で、経営のことば教えとるのかなー」と思いました。
ホームページに書いてあることを読んでも、最初は半信半疑でした。
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でも、無料で教材をダウンロードできると書いてあったので、「無料なら‥‥」と思って、メールアドレスを登録して、教材をダウンロードしました。
最初はパソコンの画面で見ていたのですが、読みにくいので、印刷しました。
印刷してみて、教材の厚さに驚きました。
教材を読んでみて、また驚きました。
店を繁盛させる方法が、びっくりするくらい具体的に書いてあったからです。
「この人、どうしてこれだけの教材を、無料でダウンロードさせてくれるんだろう?」と思いました。
妻にも、「これすごいから読んでみて」と教材を渡しました。
教材を読んだ妻は、半信半疑の様子でした。
本当に効果があるのかは確信できませんでしたが、妻と話し合い、とりあえず教材に書いてあったとおりに、ポップを作ってみることにしました。
生まれてはじめて書いたポップで大福が完売
最初に書いたのは、大福のポップでした。
たしか、「寒いですね〜 こんな日は こたつで大福サミット!」みたいなことを書いたと思います。
生まれてはじめて書いたポップを、朝、物産館の無人ブースの、大福のところに貼ってみました。
そうしたらその日、大福だけ完売したんです。
それまでは完売することなんて、ほとんどなかったんですよ。
せいぜい20〜30個しか置いてなかったのに。
ポップを貼ってない饅頭やおはぎは、いつものように売れ残ってました。
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きつねにつままれたような気分でした。
「え? こんなので売れるの?」という感じでした。
翌日は、饅頭のポップを作りました。
「寒いですね〜 こんな日は こたつで饅頭サミット!」みたいな感じです。
今度は、饅頭だけにポップを貼ってみました。
そうしたらその日は、饅頭だけが完売しました。
妻と二人で、「すごいね。ほんとに売れたね」と話しました。
「じゃあこれからは、毎日ポップを書こうよ」となって、それからは妻と、いろいろなポップを作っていきました。
素人くさいポップでした。
パターンも限られていました。
そんなポップでも、なんとか家族が食べていける売上が上がるようになりました。
ジョイマンの教材に書いてあったことは、本当だったんです。
笑人塾に入会して売上が3倍に
それまで私は、「どうすればおいしいお菓子を作れるのか」ということばかり考えていました。
「どうすればお客さんの心をつかめるのか」ということは、ほとんど考えたこともありませんでした。
ジョイマンの教材を読んではじめて、「お客さんの心をつかむ方法」の考え方がわかりました。
笑人塾に入会して、もっとお客さんの心をつかめるようになりたいと思いました。
でも、うちにとって笑人塾の会費は大金だったので、しばらくは入会を迷いました。
「どうしよう、どうしよう」と、妻に何度も相談しました。
「とりあえず半年だけ。半年経ったらやめるけん」と言って妻の許しを得て、ようやく、笑人塾に入会しました。
去年(2010年)の11月の末のことです。
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笑人塾に入会して送られてきた教材には、店を繁盛させる方法が、さらに詳しく具体的に書いてありました。
お客さんの心をつかむポップの書き方が、会員向けの教材を読むだけでわかりました。
個別電話コンサルティングも役立ちました。
ポップのことを電話でジョイマンに相談すると、私達が思いつかなかったような知恵をもらえました。
ジョイマンからもらったアドバイスをポップ作りに活かすようになって、物産館での売上が、さらに伸びはじめました。
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それまでほとんど売れなかったどら焼きも、ジョイマンのアドバイスを活かしたポップを付けたら、急に売れ出しました。
どら焼きなら、饅頭や大福やおはぎと違って日持ちするので、ロスを減らせます。
そこで、今年(2011年)2月には、思い切ってどら焼きに一本化しました。
そうしたらその月は、どら焼きだけで、過去1年で最高の売上になりました。
「ニッパチ」と言って、2月と8月は売上が落ちるのが普通だったので、本当に驚きました。
ジョイマンの教材に出会う前と比べると、約3倍の売上です。
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それからは毎日あんこ作って、毎日どら焼き焼いて、毎日完売する状態が続きました。
観光で来られた方のリピートや口コミなのか、熊本市内や福岡県から、電話でどら焼きのご注文をいただくようになりました。
たまたま物産館に取材に来られたフリーペーパーの記者の方が、うちの売り場のポップを見て興味を持たれたのか、うちのどら焼きを、「おいしいです」っていうお客さんの証言入りで紹介してくださいました。
そのフリーペーパーに載った記事のおかげで、また売上が伸びたりもしました。
どら焼きが売れ始めたのをきっかけに、デパート出店への道が開ける
笑人塾に入会して、どら焼きが売れ始めたのをきっかけに、また思わぬ幸運が訪れました。
今年(2011年)3月、九州新幹線の全線開通に合わせて、熊本駅の新幹線口に「フレスタ熊本西館」という新しい商業施設ができました。その商業施設に、上天草の物産館も特産品売り場を出店しました。
うちのどら焼きも、上天草の物産館でよく売れていたので、熊本駅のその売り場に置かせてもらえることになりました。
そうしたら、その売り場の隣に、熊本でも有数の食品店街の会長さんが店を出されていて、その会長さんが、うちのどら焼きを食べてくださったんです。
その会長さんは、ご自身の会社の催事で、全国のデパートやショッピングモールを忙しく飛び回っていらっしゃる方でした。
たまたまその会長さんは、福岡のある有名デパートから、「職人がその場で焼いて売るスイーツを扱いたいので、何かいいスイーツを紹介してほしい」と相談を受けていました。それで、うちのどら焼きを食べた時に、「これはいける!」とひらめいたそうです。
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後日その会長さんとお会いして、その会長さんが、うちのどら焼きの催事をプロデュースしてくださることになりました。デパートなどで、私がどら焼きの実演販売をする催事です。
まず熊本のデパートやショッピングモールでの催事から始めて、1日15万円売って2週間続けられる技術と体力が付いたら、福岡の有名デパートに出店する計画です。
「1日20万円売れる技術と体力が付いたら、東京に出店しよう」とも言っていただいています。
すべて、ジョイマンとの出会いから始まったことです。
私は、人にはすごく恵まれています。
製菓学校でも、鎌田先生という素晴らしい先生に指導していただきました。
就職した「和作」の山田社長も、最高の技術を惜しみなく指導してくださいました。
そこで高山先生という、和菓子界の神様のような方の教えを受けることもできました。
そして今回ジョイマンに出会って、どら焼きが売れるようになり、それをきっかけに、催事をプロデュースしてくださる方とも出会えました。
本当に私はいろいろな人に助けられて生きてると思います。
ポップの数々
― 木村さんご夫妻が作ったポップを見せてください。
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すべてのポップをとってあるわけではないのですが、たとえば、こんなポップを作りました。このポップは三角柱形になっていて、天井からぶら下げるとクルクル回るんです。ジョイマンに電話で相談しているときに、こんな形のポップもあると教えてもらって、すぐ作りました。 |
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天井からぶら下げる三角柱形ポップの、冷しどら焼きバージョンです。涼しい感じが出るように青色で書きました。 |
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| 冷しどら焼きのポップです。お客さんにどんな場面で食べていただきたいか想像して書きました。 | ![]() |
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| お客さんから「おいしくて食べすぎてしまって、太った」というクレーム(?)をいただいたので、こんなポップも作りました。 | ![]() |
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| こちらが今の物産館のブースの様子です。もっと人目を引けるように、やぐらを組んでみようかと思っています。 | ![]() |
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| どら焼きを焼いてる私の写真を大きく入れるようにしたら、やっぱりお客さんの反応がよくなりました。 | ![]() |
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| 私の子供たちの写真も貼ってしまいました。 | ![]() |
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| どら焼きのサイズを少し小さくしたことをお知らせするポップです。 | ![]() |
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| どんな時にお菓子が喜ばれるのかを想像して書いたポップです。 | ![]() |
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| 楽天のお客さんに投稿していただいたレビューをプリントアウトして、物産館のブースに貼っています。地元のお客さんはあまりに見ないのですが、観光でいらしたお客さんは、かなりじっくりとご覧になってます。やはり第三者の評価には説得力があるようです。 | ![]() ![]() |
個人商店の方へのアドバイス
― 売上が落ちて困っている個人商店の方に、何かアドバイスがあればお願いします。
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個人商店を出してる方は、今の時期、みんなものすごい苦しんでると思います。
どこで聞いても、「売上が上がらない」という話を聞きます。
みんな職人で、売ることを知らない人達ばかりです。
売ることを知らないために埋もれている職人の方が、まだまだたくさんいるはずです。
そういう方はきっと、何から手をつけていいかもわからないんじゃないでしょうか。
とりあえずジョイマンの無料教材を読んで、ポップを書いてみてほしいです。
ポップを書けば、変化を体験できるはずです。
たとえば和菓子屋さんなら、うちのポップを真似したらいいじゃないですか。
まずは信じてやってみてください、と言いたいです。
やってみて、ジョイマンのやり方がいいと思ったら、笑人塾に入ることも考えたらいいと思います。
今後の抱負
― 最後に、今後の抱負をお聞かせください。
笑人塾では、プレスリリースのことも、チラシのことも、たくさん学ばせてもらったのですが、私達は忙しくて、まだポップしかできてません。
まだ手をつけてないことが、たくさんあります。
マスコミの力は、フリーペーバーに取り上げていただいた時実感したので、プレスリリースもこれからやっていきたいです。
どら焼き実演販売の催事も、ぜひ成功させたいです。
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やっぱり子供達にはちゃんとした生活をさせてあげたいですし、そのためには、まだまだ全然収入が足りてません。
子供達のためにも、頑張って売上を伸ばしていきます。
うちのどら焼きは、本当においしいんですよ。
去年、楽天でどら焼きを売り始めた時、勉強のために、売れてる店のどら焼きを全部買って食べてみたんです。
改めて、うちのどら焼きは、どこの店にも負けてないと思いました。
たくさん買って食べた中に、2軒だけ、「皮の部分は、ちょっとうちよりおいしいかな?」と思った店がありました。
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その内1軒の店は、皮に隠し味でしょうゆを入れてたんです。
それで1年かけていろいろな配合を試して、うちでも今年の春から、どら焼きの皮にわずかにしょうゆを入れ始めました。
皮にわずかにしょうゆを入れると、卵の生臭さが消えるんです。
最初は、普通のしょうゆを使っていました。
でもせっかくだからいいしょうゆを使おうと思って、いろいろなしょうゆを試しました。
しょうゆって、ものすごい種類があるんですよ。
今私が使ってるのは、宮内庁御用達の最高級のしょうゆです。
この最高のどら焼きを、少しでも多くの方に召し上がっていただきたいですね。

「これからもよろしくお願いします」
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木村さん、本日はお忙しい中、 |
※ 菓舗 木村屋のネットショップ「どら焼き専門店 三代目 木村光利の店」(楽天市場)
※ 取材日時 2011年10月
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