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16店舗目 kingさん|美容室 life goes on(東京都羽村市)

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東京都羽村市で美容室「ライフ・ゴーズ・オン」を経営するオーナーのKingさん(本名)は、2013年10月に利益倍増プログラムに参加、2011年1月に増益繁盛クラブ ゴールド会員に入会。おもに折り込みチラシとPOPの販促活動で売上を伸ばし、現在は美容室経営と平行して、セミナーやコンサルティング活動も開始。入会のきっかけや、入会後の変化や効果について、お話を伺いました。

東京都羽村市で、髪の毛の「病院」を経営

― 「life goes on(ライフ・ゴーズ・オン)」について、教えてください

東京都羽村市で美容室を経営しています。
ただし、美容室ではなく「髪の毛の『病院』」と表現していますけど。

― 「髪の毛の『病院』」と表現している理由は?

ジョイマンから学んだ中のひとつに、「あなたのお店は何屋さんですか?」と聞かれることがあるんです。その意味は、美容室とか飲食業ではなく、「何ができる人なの?」「どんな問題を解決できるお店なの?」っていうのを考えるというのがあります。
だったらウチは、お客さんが毎朝髪の手入れをしている時の「上手くセットできない」「何か気に入らない」「美容室でやってもらったみたいにならない」などの悩みを解消する場所だと気づいたんです。そこで、いまでは、「髪の毛の病院」というコピーを全面に出しています。

― これは早めに聞いておかなければならないのですが、なぜ、「King」という名前なんですか?

それは、一国の主だからです。
基本的に、うちのお店は全員<アダ名>で呼んでいるんです。 昔から、<名字+さん>って、どうしても気に入らなかったんですよね。なぜって、壁を感じるんですよね。

アダ名に統一したのは、心の壁を取っ払うため

― 壁というのは、スタッフ同士の壁ですか?それとも、お客さんとの壁ですか?

両方ですね。スタッフ同士もそうだし、お客さんもそう。
アダ名にした理由は、2つあります。
1つはスタッフに折角うちで働いてくれるんだったら、ガッツリ絡んで成長してもらいたい。
その為にもお互いの呼び名って大事だと思っているんです。大人になると「さん付け」とか、両方もしくはどちらか片方が敬語というのがほとんどだと思います。でもそういうのってものすごく心の距離が遠い、壁があるように感じるんですよ。
自分が下っ端の頃にも、この人とはこれ以上近くにはならないなっていう壁が出来ちゃう感じがしていたので、自分でお店をやる時は、源氏名というか、ここでしか呼ばれない名前、特別な名前という形にしたいと思っていました。
だから、決め方は自由。好きな食べ物だったり、昔の漫画の好きなキャラだったりとか、自分の思い入れがあるものでも何でもいいよって形にしてます。それを、お客さんから呼ばれると、結構嬉しかったりするんですよね。お客さんとの壁も1枚なくなった感じがするんです。
だから、ホームページでも、HOT PEPPERビューティーでも、ぜんぶアダ名で統一しています。お客さんからも「アダ名」で指名が入りますし、会話の中でも自然に呼ばれます。そうすると、不思議と人間同士の壁がなくなるんですね。

― 2つ目の理由は?

「本名をあまり出したくない」という人に、配慮したということ。
ウチのお店は田舎にあって、商圏も狭い。そんな中で広告を出したりしますからお店の外でも面が割れてる(笑)顔を指されたりする事もあるので、あまり本名は出したくないという人もいますからね。どうせアダ名にするなら、ちょっと風変わりなことをやって、プラスしてやっちゃえ、と。それで、心の壁が取れていけばいいかなという狙いもあります。
アダ名もそうですけど、文章もそう。
他のお店を同じようなことを書いてたら特徴は出ないし、技術でこうゆうカットがどうのとか、そんなこと書いてもお客さんの心に爪痕を残せないので、やっぱりお客さんの脳に「ライフ・ゴーズ・オン」というお店の『シミ』を残したいんですよ。

お客さんは、美容室に付くのではなく、美容師に付く

― お客さんの脳に「シミ」ですか

この仕事、美容室って、お客さんが美容室に付くのではなく、美容師に付くんですよね。
もちろん、このお店のアタマは自分なんだけど、お客さんは「あのスタッフにやってもらいたい」って来るんです。だから、技術どうっていうよりも、人間性を出して親近感を持ってもらった方が近寄りやすい。たとえば、同じ趣味っていう理由だけで来てくれる人もいますし、「美容師として」というよりも、「人として」の部分を出すように意図的に文章を書いています。

― 意図的に文章に工夫をするようになったのは、いつ頃からですか?

本格的に取り組んだのは、ジョイマンに学んでからですね。もちろん、初めから人がやらないことをやろうという頭はあったんです。
たとえば、独立するときに、内装屋さんやチラシ屋さんが言うんです。
「大体他のお店はこんな感じでやってますよ。」「こんな事よその店ではやってないし今までやった事ないですよ」って。他の店と同じ事をするんだったら、わざわざ借金抱えてリスクしょってまですることじゃないだろうって、自分がやりたいことやるから独立するんだよって、それが他の店と同じようなことしか出来ないんだったら、他を探すから帰ってって感じで話したんですよね。でもやっぱり、独りよがりの部分もあったんです。「他の店と違う」ということが、「目立てばいい」とか、「他の店を否定して自分の店を上げる」という形でやっていた感じがあるんです。
でも、ジョイマンを知ってからは、販促の作り方や文章の作り方とかは、いい意味で他の店と差別化、差別化というよりも独自化するということを学んで、自分なりの言葉と、自分の店に合わせて落とし込んだ文章を作るようになりましたね。

専門学校に通わず、現場で経験を積んだ

― 独立する前は、どこかのお店で修行していたんですか?

独立したのは、14年前の2001年。それ以前は、都内のチェーン店で働いていました。高校卒業後、18歳で地元千葉県の美容室に入社し、4年後に美容師国家試験を取って上京しました。

― 専門学校に行っていないんですね。専門学校に行かなくても、美容師の資格は取れるんですか?

基本は専門学校に行かないと取れないんです。
でも通信教育っていうシステムがあって、教科書が送られてきて学科を学んで、専門学校の一般生徒が夏休みや冬休みの時、仕事を休んで学校へ行って実技を学ぶんです。そうすると、受験資格が取れます。現在の美容学校は2年間ですが、通信教育は3年間。でも、現場で技術を身につけながらでも3年間学べば、国家試験を受けることができるんです。

― そうすると18歳からキャリアが始まっているんですね。皆さんよりちょっと早かったんですね。

そうですね。やっぱり専門学校出てから美容師になる人のほうが、圧倒的に多かったかな。同い年の人が専門学校にかよっている間、自分は現場で血となり、肉となるような技術を学んでいたので、その時間は良かったかなと思っています。
ただ、もともと美容師になりたかった訳じゃないんですよ。

― え? 何か、なりたかったものがあったんですか?

いや、全然ないです(笑)
高校の頃にアホだったので、夏休みにとかに自分で頭を染めたんです。でも、自分の希望する色にはならないんですよ。当時の市販品も、今みたいにたくさんの種類が売られていなかったし、自分の希望の色にならない。これを自分の希望の色にするにはどうしたらいいんだろうと考えて「あ、美容師になればよくね?」っていう、そんな単純な動機がきっかけです。
だから、どうすれば美容師になれるかも知らなかった。そもそも、高校3年の夏休みぐらいに決めた進路なので、とりあえず美容室で働けば覚えるだろうと。それで、美容室に面接に行ったんです。すると「専門学校はどうする?」って聞かれて「え?行かないですけど?」って答えたら、でも行かないとダメだからって感じで、通信教育があることを教えてもらったんです。当時は本当に何も知らなかったんです。でも、今となってみれば通信教育で学んで良かったなと思いますけどね。

― 東京に出てきてからのキャリアは?

チェーン店に勤めて、東京の杉並区で2年ぐらい働きましたが、その時の店長があまり意欲的ではなかったんですね。
「こういうことしましょう、ああいうことやりましょうよ、そうすればもっとお客さん来るんじゃないですか?」って言うと「お、いいね」ってだけなんです。自分はまだ、下っ端だったので、やっていいものなのか、あまりよろしくないものなのか分からなくて。でも、店長の反応が「おぉ、いいんじゃね。」みたいなリアクションしかなかったので、なんか、もうここで学べるものはないと思って「辞めます。もうちょっと成長ができる所に行きたい。」と社長に話したら「もう1店舗出店する計画があるから、そこで店長でやってみろ。自分がやりたいと思ったことは、全部形にしてやっていいから。」って言われて、それで板橋区にできた新店にいきました。

― 地元千葉で4年、阿佐ヶ谷で2年、板橋で2年の計8年のキャリアの後独立された?

都会に憧れて免許を取ってから上京しましたが、千葉の田舎で働いていた時と都内で働いていた時、やってる仕事はほとんど変わらなかったんです。そこで美容師って場所が変わってもやる事は変わらないんだって事に気付いて、自分のスタイルをしっかり貫けば飯は食えるだろうと思って、嫁の実家近くの東京都瑞穂町で2004年に独立しました。そして去年。2014年1月に、いまのお店がある羽村市に移転したんです。

帰るつもりで参加したワンデーセミナーで、ジョイマンに出会い

― ジョイマンを知ったきっかけは?

2011年11月ですね。売上が落ちてきて、「ヤバいなぁ、何か対策を打たなきゃ」と思いネットで「美容室、POP」っていうキーワードで検索をしていたら、ジョイマンが大阪の美容室をインタビューしている形で紹介しているのがあったんです。
そのお店のPOPはすごいやつで、いろんな所に貼ってあって「あぁ、ここまでやるんだねぇ。こうゆう文章なんだぁ。ちょっとうちでもやってみようか?」ってなって。
まずは、そのお店のを丸パクりから始めたんです。パクれるものだけパクって、それ以外にも自分達で作ったりもしました。でも、あまり思ったほど結果は出なかったんです。それでも、パクった物はそれなりに売れていったんです。だから、これはちょっと1回学べば、それなりのものになるんじゃないかと思って、メールマガジンに登録したんです。
ただ、正直、POPは大嫌いだったんですよ。

― なぜ、POPが嫌いだったんですか?

カッコ悪いから(笑)。
内装をこだわってお店を作ったのに、ベタベタ貼るのはあまり格好良くない!スタイリッシュじゃない!って。
でも、どうにも売上がよろしくなくない。自分で飯を食う分ぐらいの売上が取れていたのですが、不定期な出費、例えば、どこか壊れた時とか税金の支払い月とかは、ちょっとヤバいぞっていう感じになって、プールは出来ないぐらいのギリギリの感じだったんです。
それで、ちょっと何かやらなきゃいけないと思ってたんです。
経営者としては、店が存続すればプライドは保たれると思っていて、手法はどうでもよかったんです。ただ、格好良くないことはやりたくなかった。それで、手軽に始められるPOPを、とりあえずやってみようと。ダメだったら、剥がせばいいと思ったんで。まず手始めに、メルマガを購読しました。2011年10月です。

― メルマガを読むようになって、どうでしたか?

読んでみて、自分の考え方と似ているなと思いました。
ただ、その頃は自分の考え方がまだ確立していなかったんです。でも、自分が思っていたことが言葉になっていると思って、再確認できたという感じ。
くわえて、お金のことを露骨にちゃんと話してくれる人なんだなと思いました。あまりお金の話ってしないじゃないですか。
一般的なコンサルタントだと、○○率とか○○効果みたいな費用対効果だったり、実際はいくらなのか分からなくて、数字がオブラートにかかっていることが多いのですが、ちゃんと露骨な数字がでていたのが信頼できる、正直で包み隠さないところが、いいなと思いました。

― 「ハワードジョイマン」という名前を見た時、どう思いましたか?

自分も板橋区の店からkingって呼ばれていたし(笑)。 同じような感じでやっていたので、違和感はなかったです。
その後、2012年5月に笑人塾(現在の増益繁盛クラブゴールド会員)に入会。その年の11月に新宿区で開催された笑人塾のセミナー「繁盛店ミーティング」で初めてジョイマンと会いました。

― 初めて会ったジョイマンは、どうでしたか?

繁盛店ミーティングには自分の右腕のスタッフと一緒に行ったんです。
ところが道に迷ってしまって到着がセミナー開始時刻ギリギリ。部屋に入ったら他の参加者の人たちが自分の販促物をジョイマンに見せながら話している。もう完全にワールドが出来上がっていたんです。
こう見えて私は極度の人見知りで、「この輪の中には入れないなぁ」と一瞬で心を閉ざし、一番後ろの席で話を聞いていました。
 自作の販促物も持って行ってたんですけど、恥ずかしく出せない。右腕にも「どうする?」って聞いたら、自分が不満そうな顔をしていたんでしょうね。「King、とりあえず、静かにしていてください!」って言われて(笑)
申し込んだ時点で懇親会があるというのは分かっていたので、懇親会にも申し込んではいたんですけど、完全なワールドが出来上がっていたので「懇親会、行っても意味なくね?」って言ってたんです。でも、申し込みは済んでるし、とりあえず行くか、「飲み食いして帰ってくればいいわ」と割りきったんです。
そうして懇親会が始まったら、ジョイマン、急に絡んでくるんですよ(笑)

ジョイマン)いやー、この風貌ですからね、僕、怖くて怖くてしょうがなかったんですよ。何を話せばいいんだろうって(笑)

他のみんなが販促物を出して、ほとぼりが冷めた頃に「ちょっと、うち、こんなの作ったんですけど・・・」って出したら、それが結構当たっていたPOPだったみたいで「これ、ヤバいっすね!貰っていいっすか?」みたいな感じになってね。
ちょっと認められたと思って、もうちょっといろいろ聞いてみようかなと思いました。
それから、いろいろ話しをして2次会にも行くことになったんです。それからは、ずっと話をするようになりましたね。
最初に販促物を提出した時の反応が嬉しかったので、ちょっとずれているのかもしれないのですが、売上をあげる為のPOPじゃなくて、ジョイマンに提出をする為にPOPを作るみたいな感じになったんです。

― 売上には効果は出ましたか?

はい。売上も上がりました。
それを報告したら会報誌にも掲載されて、自分が取り上げられて認められたような気がして嬉しくなって、この会報誌に毎月載るようにしようと思いました。
そこでジョイマンに「年6回会報誌にウチの店の販促が載る事が目標」と公言していたんです。
他の業種の会員さんもいるので会報誌をジャックする事は無理だろうけど、2か月に1回なら載る事が出来るかもしれないと思って、自分で作ったPOPを常にデジカメで撮ってメールで送りました。
最終的には、その年8回載せてもらう事が出来ました。
でもそのうちに、自分のところで作るPOPの数も限界がでてきたので、今度はネタを送ってやろうと思ったんです。自分が買い物に行った時とか、外食した時とかに面白いと思ったものを写真に撮っておいて、それを自分の店で応用して作って、元ネタと自分の店で作ったものを一緒に送るようになりました。その間も、メルマガや会報誌を見たり、セミナーにも参加して学びながら、他で得た情報をミックスして販促物にして、数字を見るという作業にまで繋がっていきました。
最初は売上の為にやっていたけれど、段々、認められたい、褒めてほしいと思うようになったんですね。
ええ。完全にそこでしたね。
繁盛店ミーティングで懇親会に行かなかったら、今の自分はないと思います。もし、あの時に懇親会に行ってなかったら、ゴールド会員も辞めていたかもしれないです。ああいう内輪な感じなんだって捉えて帰っていたら、もしかしたら繋がっていなかったと思いますね。

売上は上がり、休みは増えた。
いまは、コンサルティング活動もしています

― 最初にPOP、その後は?

POPと同時並行でチラシと看板ですね。
実は、ジョイマンと会う直前まで、2009年くらいから2011年まで、安売り店に舵をきっていた時期なんです。薄利多売でも売上を上げなきゃということで。お客さんに媚びるような感じがして、本当は安売りはしたくなかったんですけど仕方なく。
でもどうせやるならドコもやってない事をやろうと思って全メニュー2,000円均一に値段改正をしました。カットもパーマもカラーもトリートメントもどれでも1つ2,000円。すると今日はカットだけ、今日はカラーだけというオーダーが増えて時間ばっかり掛かる割に売り上げは全然でした。この頃は経営を学んだ事もなかったので、今思えば相当狂ってましたね(笑)
その後ジョイマンに出会って、ジョイマンに会って、安売りはダメだって言われて、「あぁ、やっぱりそうだよな」って思って、また一気に変えました。
今の客は全部捨ててもいいと思って、ヴィトンとレクサスをこよなく愛する人をお客さんにしていこうと思いました。POPやチラシ、看板などの販促物もやりながら、新しいお客さんを開拓しました。
それで、ちょっと盛り返した頃に、繁盛店ミーティング(セミナー)に参加したんです。
ジョイマンに会って、背中押されたじゃないけど、やっぱり自分が思っていたのは、いくら店を存続することがプライドでも、やりたくないことやってまでは、あまり意味がないと思ったし、ジョイマンもこう言ってるから、間違っていないだろうっていう部分も背中を押して、また一気に単価を上げたんです。

― どのぐらい単価を上げたんですか?

まぁ急にバーンと上げる訳にも行かなかったんで値上げというよりも全てセットメニューという感じで単品注文をなくしました。
パーマやカラーはカットもトリートメントも全て込み。いい事は全てやって全てキレイにするお店にシフトチェンジしました。サッパリしてればいいですっていうなら他のお店行ってくれって。多少お金を出してもメチャクチャきれいになりたいって人だけ来てくださいみたいなキャッチコピーに変えたんです。そうしたら、3,000円弱の単価が4,000円強まで上がりました。

― なぜ安売りをしないほうがいい、と思ったんですか?

安売りに反応する人は、値段だけに興味があってお店のことは好きじゃないです。だから、高くなれば、他店に流れます。もし、店が潰れたとしてもそのお客さんにとっては何も困らないんですよ。
自営業は自分がルールなんですよ。でも、安売りするとお客さんがルールみたいに勘違いしちゃって、自分の為の営業じゃなくて他人の為の他営業になっちゃうんですよ。

― 2000年に独立した時を100としたら、安売りをした時はどのぐらいですか?

2009年に安売りした時は、めちゃくちゃ働いて80ですね。

― 2011年に、ジョイマンに会って単価を上げてからはどのぐらいになりましたか?

120ぐらいですね。

― 2015年の今年は、どれくらいですか?

140くらいですね。
でも時間が全然違います。以前は週1回のお店の定休日だけしか休みがなかったんですが、今は完全に週休2日、その他にも私用やセミナーがあればお店を空ける事が可能になりました。

― 1日の労働時間はどうなりましたか?

基本的にお店には詰めてはいますがハサミはほとんど握っていません。
ウチはスタッフが私よりも優れているので美容のほとんどの業務はスタッフに任せています。私はパソコンとにらめっこをしていたり、お店の足りなくなったものの買い出しなどが主な仕事ですね(笑)

― 現場に出ない時間は、どんなことをしているんですか?

1つは、2013年2月に「副業コンサルタント起業コース」を学んだので、コンサルタント活動とPOPのセミナーをしています。
以前の自分みたいに、売上をどうにかしなきゃいけないんだけど、何をしたらいいか分からないという美容室経営者に向けて、いろんな情報を発信したりサポートしたりメール相談したりセミナー活動だったり、教材を作って販売をしています。
2つ目は、求人の文章コンサルティングをしています。
いまの日本には、美容室が多すぎるんですよ。コンビニの4倍、信号機の2倍、美容室はあるといわれていますから。スタッフも集められない。人を集めるということが出来ないんです。ですから、求人の文章作成術のコンサルティングもしています。そもそも、美容室経営者が、働き手が望む条件を、はき違えているんですよ。

求人募集の文章コンサルティングは、良い人材を集めるお手伝い

― 「美容室経営者が、働き手が望む条件を、はき違えている」というのは、どういうことですか?

求職者をお客さんだと思って考えればいいんです。
これは美容師だけじゃないと思いますが、働きたいと思う技術職は、多少給料が少なくても、拘束時間が長くても、自分が成長できるかどうかが一番大事でなんです。
ところが求人サイトには給料や拘束時間や福利厚生しか書いていない。
当然ですが、求職者は掲載しているお店の書いてある条件の中からしか選べない。
すると、経営者として不利な条件、たとえば休みが多い、給料が高いというところで勝負しなければならなくなる。
反面、「うちで働けば成長できます」「他店と違ってこういう経験できます」ということをうたえば、給料よりも成長したいと思っている人が集まる。それだけが特化して浮き上がって見えるんです。だから、「成長したい」という志の高い人材が集まるんです。
給料とか時間や休みで打ち出している求人というのは、集客でうちは安いですと言っているのと同じ事だと思います。

― 求人文章のコンサルティングの効果はいかがですか?

クライアントの花屋さんでは、それまで2年ぐらい求人を出していたけど1件も応募が来なかった。そこで、作成した文章で求人を出したら6件ぐらいの申し込みがあったと。今度は逆に、面接をしたり落とすのが大変っていう話をもらっています。
「花が好きな人」って募集すると「花が好きな人」が来ます。でも花が好きで仕事にするほど大好きだ!って人って少ないと思うんですよね。
ところが、「お花を通して、人の役に立ちたい人」とか、「お客さんの記念日のお手伝い」と打ち出せば、サービス業として捉える人が来る。そうすると、お客さんが喜んでくれるサービスをするようになるんです。

10店舗100人体制をつくり、自分がドライバーとして、みんなを社員旅行に連れて行きたい

― もし、ジョイマンに会っていなかったら、どんな状態だと思いますか?

取りあえずお店は続いてなかったと思います。
職種はわかりませんが、サラリーマンに戻って、安定した職を求めたと思います。生きるためには、仕方がないですからね。

― Kingさんにとって、ジョイマンはどんな存在ですか?

経営者である自分は、種を撒いて、育てる人。ジョイマンは、肥料ですね。ジョイマンからは、知識の肥料をもらって、収穫時期に刈り取るのが自分の仕事だと思っています。

― 今後の目標をお聞かせください

1つは10店舗100人の規模を目指す事。
会社の規模を大きくしたいという訳ではなく、店舗同士で上手く競争が出来たり同期同士で切磋琢磨できる環境をスタッフに作って上げたいと思っています。
そのあとは、バスの運転免許を取って自分が運転して社員旅行に連れて行きたいですね。
クーラーボックスがパンパンになるくらいのアルコールを詰めて、みんなはバスに乗る。自分が運転して、みんなが飲み始める。そんなのが夢ですね。
もう1つは、週休7日です(笑)
経営者って、自分がなんでも一番だと思っちゃうと思うんですよね。働く時間も一番。仕事も一番するし、借金も一番する。でも、それって違うと思うんですよね。経営者って、監督ですよ。だから、現場には出るべきじゃないというのが自分の考え方。現場は、スタッフのもの。現場はスタッフが伸びる場、活躍できる場だと思っています。監督である自分は、戦略や戦術を考える。だから、現場から速く抜けたいですね。その意味でも、週休7日が目標です。